火炎と水流
―邂逅編―


#3 おるすばんは、おいしいね!

   

朝。外はまだ薄暗いというのに、キッチンに明かりが灯り、火炎が忙しく働いていた。テーブルの上には、いくつもの皿やカップ、弁当箱などが並び、火炎は白いエプロンをかけて何か料理を作っていた。浴室からそっと出て来た水流が、気まずそうに声をかける。
「あ、あのさ、火炎……」
すると、彼はまな板の上でトントン野菜を切りながら、振り向かずに言った。
「洗濯機の上に服があったろう?」
え? と固まっている水流。火炎は器用にフライパンを扱いながら更に言った。
「何をしている? いつまでも裸のままウロつく気か?」
「え? あ、ああ」
そう言って、水流はそそくさと浴室へ戻った。

なる程。洗濯機の上には、きちんとたたまれた衣類が一式のっていた。シャツにパンツにズボン。Tシャツにくつ下まで。どれも水流にピッタリのサイズだった。
「ああ、いい匂いがする。これって、新品かな? まさか、おいらのために……?」
水流は、いぶかしく思いながらも鏡の前でポーズなど決めてみたりした。
「おいらって、やっぱりいい男。あいつも、案外いい奴なのかもしんないな」

台所へ戻ると、火炎がフライパンからウインナーを取り分けているところだった。
「あ! タコさんウインナーだ! うまそ!」
今にもよだれがたれそうな顔で皿に近づくと、1つつまもうと手を出した。が、その手をピシャリ! とたたかれて首をすくめる。
「イテッ! 何すんだよ? 1本くらいいいじゃんか。それに、皿が3つあるってことは、1つはおいらの分ってことなんだろ?」
そう言う水流の顔をジロリと見て火炎が言った。
「何て図々しい奴なんだ。朝食が済んだら、サッサと出てけよ!」

が、当の水流はちっとも聞いていない。キョロキョロ辺りを見回して言う。
「へえ。かわいいお弁当だな。あの子のだろ? うまそ!」
「さわるんじゃないぞ! おまえはこっちで十分だ!」
と、火炎がバン! と水流の前に皿を置いた。先ほどの皿にウインナーが2本のっている。
「これだけ?」
と不満そうに火炎を見やる。
「後でスープとパンをやる」
と言って、火炎は桃香を起こしに行った。

「へえ。あいつ、随分人間らしい暮らししてんだな。それにしても何でガスコンロじゃなくて、こんな電気式の使ってんだろ?」
と、あちこち見回していると、火炎が桃香を着替えさせて戻って来た。
「おはよう。水流」
桃香が言った。
「あ、おはよう。桃ちゃん」
2人がテーブルにつくと、丁度、電子レンジがチン! と鳴った。火炎はカップに入れたスープとあたためたロールパンを出して、2人の前に置いた。
「いただきまーす!」


食事が終わると、火炎は桃香を自転車に乗せ、保育園へ送って行った。こうして見ると、火炎は妖怪といえども、まったく人間と変わらない。いや、むしろ、人間より人間らしいというか、すっかり人間社会に溶け込んでいた。キキッと自転車のブレーキ音がして、まもなく火炎が戻って来た。そして、すぐにまた出かける支度をした。そして、水流に昼食だと言って、おにぎりをくれた。
「え? さっきは朝食終わったら出てけって言ったじゃんか」
そんな水流をチラと横目で見て火炎が言った。
「無理だろう。まだ、ダメージは回復していまい」
その通りだった。本当なら、まだ到底、人型になど転じてはいられない程だった。が、それでも、水流は人の姿でいたかったのだ。

「あ、ありがと。その、服のこととか……」
「いいさ。治るまでここにいればいい」
その言葉に、思わず水流はじわっときた。が、
「回復したらサッサと出てけよ。おまえといるとロクなことがないような気がするからな」
と、切り捨てるように火炎が言った。
「何だよ? 人を疫病神みてーに言いやがって」
「それから、おれが留守の間は、絶対、部屋から出るな」
「留守の間って、おめー、どっか出かけんのか?」
「仕事だ」
「仕事って、まさか、どっかで悪さしようってんじゃねーだろうな?」
「バカ言うな。駅前の本屋でバイトしているんだ」
「本屋だって?」
水流はひどく驚いて男の顔を見た。

「何、不思議そうな顔をしている? 桃香を食べさせるためには人間の金が必要なんだ。それに、本屋には、いろいろな情報が詰まった資料がたくさんある。人間社会のことを学ぶには都合がいいんだ」
そう言えば、この部屋には家具はあまりなかったが、本がたくさんあった。
「へえ。それで今風な調理器具とかあったのか。それにしても、おめーは火の妖怪なのに、何でガスコンロ使わねーの?」
と、水流が言うと、火炎は暗い顔をして首を横に振った。
「ダメだ。桃香が火を恐がるからな。いいか? おまえも桃香の前で、絶対、火の話をするなよ。特に、火事の話はするんじゃないぞ。あの子は、炎恐怖症なんだ」
疑問に思ったが、理由は訊けなかった。火炎のさみしそうな目を見てしまったからだ。それから、すぐに火炎は出かけた。水流は、一人ぽつんと部屋に残された。

そこは、たった一つの部屋に小さなキッチンとバス、トイレがあるだけの簡素なアパートだった。あるのは、小さな食器棚に桃香のベビーダンス、それに、テーブル。カラーボックスにオモチャが少しと時計。本はあちこちに積まれてたくさんあった。が、やたら難しそうな物ばかりで、水流にはつまらなかった。そのうちの一冊を取り上げパラパラ見たが、サッパリわからず、ポンと投げて寝転んだ。
「何かたいくつだなあ」
水流は天井のしみを数えたり、ぼんやりと窓の外を眺めたりしていたが、ついに耐え切れず、起き上がって部屋の中をウロウロ歩き回った。

「やっぱ、外の空気吸いてーな」
じっとドアを見つめた。それから、時計を見た。まだ、昼には2時間以上もある。
「ちょっとくらい散歩してたっていいよな。要は誰にも見つからなきゃいいんだろ?」
水流はスウッと息を吸い込むとドアを開けた。
「フーッ。やっぱ、外の空気は新鮮だぜ」
空を見上げてホッとする。そして、後ろ手でそっとドアを閉めようとしたその時。
「あら、あなた、どこの子?」
突然、声をかけられ驚いて振り向く。と、そこにはでっぷりとしたおばさんが立っていた。

「あ、あの、おいらは、その、火炎の……」
「何だ。時岩さんとこの知り合いなの?」
「え? ええ、まあ、そんなもんです」
と、あわてて言い訳する。
「そう。だったらいいけど。急に時岩さんのところから出て来るから驚いたわよ。ホラ、最近、物騒じゃない? いやねえ、世の中がどんどんすさんで。あなたくらいの子供が犯罪に手を染めたりなんてケースも後をたたないし。あ、でも、今日は学校、お休みじゃないでしょ? あなた、いくつ?」
「えっと、その十三ですけど……」
「そうでしょ? 学校あるんでしょ? そもそも、あなた、時岩さんとどういう関係なの? 彼はお家にいないのかしら?」
と、強引に部屋を覗こうとする。

(何かヤバイなあ。どうしよう?)
水流は、困って視線をそらし、小さな声で言った。
「火炎は本屋のバイトに行きました。おいらには、留守番するようにって」
「そうね。火炎君って真面目だから。今時、感心な子なのよね。若いのに、亡くなったお姉さんの子を引き取って育てるなんて、誰にでもできることじゃないわ」
「ハア…それって、桃ちゃんのことですか?」
「そうよ。ところで、あなたは? 時岩さんの従兄弟か何かなの?」
「え、ええ、そうなんです。実は」
水流は言ったが、おばさんは怪訝な顔になった。
「それにしては、顔、あまり似てないわねえ」
「ハア。でも、ウチ、ちょっと複雑なんで……」
「そう?」 とおばさんがジロジロ見るので、内心冷や汗ものだったが、彼女が気にしたのは別のことだった。

「ところで、これ、火傷の痕じゃないの?」
と、いきなり、腕を掴まれて袖をめくられた。白い肌が赤くただれて引きつれているのが痛々しい。
「ほら、ここにも」
水流がたじろぐにも関わらず、おばさんは、少年の体のあちこちを点検し始めた。
「まあ! 首や額までこんなに赤くなってるじゃないの」
そう言って、おばさんが軽く額に触れようとした時、
「うわっ!」
と、水流が悲鳴を上げた。そして、おばさんの手を振り切り、額を押さえてしゃがみ込んだ。

「やめて! 触らないで……! 誰もここに触れてはいけないんだ……」
命玉めいきょくがひどく痛んだ。彼ら妖怪、いや、精霊にとっての生命の源。その命玉が損なわれ、破壊されない限り、彼らは生きる。だが、火炎との戦いで、水流の命玉は痛みつけられ、ダメージを負った。回復させるためには、まだ時間が必要だった。だから、ダメージを負ったその状態で、それに触れられたくなかったのだ。もっとも、その命玉がどこにあるかは、そのものによってもちがうし、目に見えるものではないのだが……。彼女が触れた部分が、偶然にも水流のそれだったのである。

「あら、ごめんなさい。痛かった? それにしても、こんなにひどい火傷、一体、どうしたの? 早く病院に行った方がいいわ。おばさんがついて行ってあげましょうか?」
「いいえ。平気です。いつものことなんですから。こんなの。もう、慣れてますから……」
「慣れてるって…そんな……!」
とたんに、おばさんの目が慈愛に満ちたやさしいものに変わった。
「きっと誰かにひどい虐待を受けたのね? かわいそうに……。でも、大丈夫。おばさんは味方よ。おばさんはね、ここのアパートの大家なのよ。だから、心配しないで、何でも相談してね。一体、誰にこんなひどいことをされたの? もしかして親御さん? お母さんが再婚されたとか?」
水流があいまいな態度をとるので、おばさんは妙な確信を抱いたらしい。
「まあ、やっぱり、そうなのね。で、新しく来たお父さんにされたの?」
問い詰められて、水流は仕方なくうなずいた。

「まあ。何てことでしょう。で、いつも、こんなひどいことをされてるなんて……! 許せないわ。おばさんに任せて。いい弁護士さんを知ってるわ。時岩さんに相談して、いいように取り計らいましょ」
「え? そ、それは困ります」
「どうして?」
「その…火炎には迷惑かけたくないんです。火炎は、おいらのこと助けてくれたから……当分、ここにいてもいいって言ってくれたし。その、おいら、それだけで充分なんです」
水流はあわてて言った。
「そう? でも、何かあったら、いつでも言ってね。力になるわ」
と言って、おばさんはギュッと水流の手を痛い程強く握りしめた。
「それじゃ、がんばってね。元気出すのよ」
おばさんは、一方的に言うだけ言うと帰って行った。水流は、急いで家の中に入った。

「ハア。ビックリした。何なんだよ? あのおばさん。大家だって?」
水流は部屋に上がると、また、うずき始めた命玉のある額を押さえた。
「あーあ、どうしよう? 何だか妙な具合になっちまって。火炎が聞いたら怒るだろうな」
水流は腰をおろし、畳の真ん中に寝転んだ。

それから、数分もたたないうちに、トントンと誰かがドアをノックしてきた。出ない方がいいかな、と一瞬思ったが、
「わたしよ。大家さんよ」
と言うので、仕方なくドアを開けた。おばさんは、
「さっきはごめんなさいね。これ、よかったら、どうぞ。火傷に効くっていうから、アロエの葉を持って来たの。それと、お菓子。桃ちゃんと食べてね」
大きな袋にいっぱいのそれを渡すと、彼女は帰って行った。
「ハーン。お菓子か」
水流は、テーブルの上にそれらを並べると、クッキーを一つつまんだ。
「うん。お留守番ってのも、なかなかおいしいね!」